2018年6月30日

まるっとくんだよりvol.2 巻頭コラム

 

父の暴力で母は私たち子供をかばって体中傷痕アザだらけ、他人には自転車で転んだとか言ってる母を見るにつけ”俺一人犠牲になろう”と思い、ある晩「母さん!俺これ以上我慢できない!!今晩父さんをやる!!」と言った時、母は顔中涙いっぱいにして「今日まで子供たちの為と思い我慢して来たんだ、分かった・・・それなら!!」と私たちは何も持たずに生まれた家を出て水沢に居る長兄夫婦の長屋で暮らすようになりました。6帖と台所付の4帖半一匹のサンマを分けて食べた。親子重なるようにして寝る、ドラムカンを拾って来てそれを風呂にした、貧しい生活でも夢があって安心して寝れる喜びが嬉しくて楽しい生活でした。私は卒業まで十数km離れた小山中学校に通った、そして中学を卒業したら大工になると決めていたので母の弟叔父(村上忠治さん)に弟子入りすると決めていたのでしたが、中学の担任の千田節男先生が、夜、何度も尋ねて来て「智美君を高校に入れてくれませんか??」と母と兄に頼んで行きます。兄は「先生がそれほどに言うなら・・・俺が何とかする」と言います。私は母兄の前で「高校には行かない!!早く大工になって金を稼いで母さんを楽させるんだ!!」と言ったら兄は鬼のような形相で大声で”バカヤロー”と言いながら私を殴る!!「俺達(兄姉)は行けなかった・・・お前と妹だけは俺が何とかして高校出してやる、、、」と兄と母は泣きます。

私も大声で泣いた。

続く

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