2018年6月30日

まるっとくんだよりvol.3 巻頭コラム

 

兄達の勧めで私と妹は高校に進学しました。私は地元水沢に初めて設立した県立水沢工業高校の第1回生として入学しました。母は旅館の清掃や食堂の皿洗いなど「どんな仕事でも人の倍働けばなんとかなる!!」といつも私たちに言い聞かせ、朝は暗いうちから夜は遅くまで・・・秋になると愛知県や岐阜県に出稼ぎに行きます。リヤカーで焼きいも売りをして私たちを育て高校を出してくれました。高校3年になり進路就職を当時ステレオ音響等で全国的に有名な「日本ビクター企画開発部」に決め、就職試験に挑みました。朝暗いうちに母が作ってくれた新聞紙にくるんだ味噌おにぎりを持って列車に乗った。東北6県から100人を超える受験生が仙台に集まりました。午前はペーパーテスト、昼12時に20名の合格発表、午後合格者のみの面接です。私は母と約束、12時に母の仕事先の旅館の廊下の赤電話の前で母が私からの電話が鳴るのを待っています。試験会場に貼り出された受験番号を見て私は急いで外に出て公園の公衆電話をめがけて走ります。途中何度も転んだ「母さん!!合格!!合格!!」電話の向こうで母は「良かった~!!」と言って泣いていた。

翌日、校長室に呼ばれ「岩手からは盛岡工業高校と君の2人だけなそうだ!!」と喜んでくれました。しかし、数日後、会社から来た通知は「不採用」でした。その理由は「破産者の子」

続く

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