2018年7月5日

まるっとくんだよりvol.7 巻頭コラム

 

あの時先生からも、私が相談した人達と同じように「高卒ではダメだ!夜学にでも通って大学に行け!」と言われたら私はきっと人生を諦め今日の自分が無かったかと思います。毎日のように両替したコインが無くなるまで、コイン切れになるまで先生を頼りました。嫌な声ひとつせず奥さんも先生も今日も明るく励ましてくれる。私は今日もコイン切れで心の中は解決せず月夜の道を一人歩いて帰る・・・途中何度も近くの多摩川の土手に立って涙一杯ためて男泣きをする、、、大声で校歌を唄う「夢と希望の憧れがやがて大きな花と咲く・・・我等水沢工業高校・・・」と私は応援団副団長でしたので次にすぐエールがひとりでに出て来る「フレー!!フレー!!スガワラ、ファイトー!!ファイトー!!スガワラ」そんな日々を繰り返しているうちに電話の時は感情的、否定的になっていて先生の言うことが頭に入らなかったのですが、ある夏の夜、上野18番線に飛び乗りました。水沢に着いた私は、すぐ先生の家に行きました。明日も仕事という先生を寝せないで一晩中真剣に朝まで話しました。本当はもう東京には戻らないと思っていたのですが、自分に対するあまりの先生の熱意に打たれ、私は上野行きの列車に乗りました。徹夜で話した先生の言葉が列車の中で次々と思い出される・・・「どうせ高卒では足軽どまり!!」私がそう言った時、先生は「お前の土俵を築け!!学歴の土俵にだけ目をやらず、お前の土俵を築け!!石の上にも三年、何かがお前を変える!!」そして先生は「本を読め、偉人伝を読め!!」と私に読書を勧める先生の言葉を思い出す。私は”先生の言う通り生きてみよう~あと一年半、ながーい時をどう生きようか・・・”迷っている私はいつものように歩いて出勤、向こうから交差点を歩いて来る早稲田大学出身、広島から来た山路さんが「どうした菅原君、弱虫が潰れたような顔しているぞ!!」私は歩きながら自分の悩みと先生のアドバイスを話した。「そうか、ぴったりの本がある!!」その後の私を変えてくれたのは歴史小説・吉川英治・新書太閤記、秀吉の人生でした。毎日この本を手に5分、10分のあき時間を狙って、又、昼は公園で片手にパン、片手に本を持って、11巻の本を読みあさりました。”可能性が無いのではない、可能性に近づこうとしないだけなのだ”ということに気が付いたのであります。そして私は山路さんのアドバイスにて、夜遅く現場の帰り毎日プランニングセンターに寄る、プランニングセンターのスタッフは自分の好きな時間に来て仕事をする、昼、仕事をする人もいれば夜、仕事に来る人もいるので、どんなに遅く行っても数人は働いていた、従って掃除や片付けはほとんどしない。そのことを耳にした私は”近づこう、近づきさえすれば何かが変る”そう思った私は掃除を進んでやらせていただく、ゴミ箱から図面を拾ってアパートに持ち帰る、しわくちゃになった図面のしわを伸ばしてそれをトレースする。拾って来た見積の内訳書や計算書を書き写して、いかにも自分が図面から積算まで作ったようにさまざまな物件を宝物のようにファイルした、そんなことを繰り返して半年ほど過ぎたある夜、いつも通りオフィスに行く、その日は全員揃って皆黙々と仕事をしていた。いつもと雰囲気が違っていた。

続く

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